こんにちは、株式会社テイクアステップ代表取締役の祖川です。
新年度が始まり、予算も体制も新たに動き出した組織が多い時期ではないでしょうか。
さて、唐突ですが一つ質問です。
御社がSaaSに年間いくら投資しているか、すぐに答えられますか?
Salesforce、HubSpot、kintone、Google Workspace、Slack…。積み上げると、年間で数百万円から数千万円規模になっている企業も珍しくありません。
では、もう一つ。
その投資に対して、「事業のどの数字がどう変わったのか」を説明できる人は、御社に何人いますか?
…この問いに即答できる企業は、正直なところ多くありません。
今回は、SaaS投資が事業成長に返ってこない構造的な原因と、それを解消するために経営・事業責任者が知っておくべき視点について書きます。
目次
- SaaS投資が”作業の維持費”に消える構造
- なぜこの構造が生まれるのか ― 「感謝ループ」という見えない罠
- 「便利な人」は事業に貢献しているのか? ― 経営者が見落としがちな盲点
- 投資を”事業リターン”に変えるために必要な4つの転換
- AI時代、この構造を放置した企業に起きること
- まとめ ― SaaS投資の成否は、ツールではなく「人の使い方」で決まる
1. SaaS投資が”作業の維持費”に消える構造
SaaS投資の大半は、ツールを維持する”作業コスト”に吸収されています。事業リターンを生んでいるのは、その投資のごく一部でしかないケースが多い。これが、多くの企業で起きている構造です。
多くの企業がSaaSを導入する際、こんな期待を持っています。
- 営業の生産性を上げたい
- データに基づいた意思決定をしたい
- 部門間の情報連携を強化したい
- 業務を効率化してコストを下げたい
どれもよくある導入時の期待です。
そしてツールを導入したら、社内に運用担当者を置きます。Salesforce Admin、HubSpot管理者、kintone担当者、情シス担当…呼び方は様々ですが、システムを社内で面倒見る人です。
この運用担当者が、現場から来る依頼にせっせと対応してくれる。
「この項目を追加してほしい」→ 対応。 「このレポートを出してほしい」→ 対応。 「この自動化フローを組んでほしい」→ 対応。
現場は「ありがとう!助かった!」と喜んでいる。運用担当者も嬉しそうにしている。
一見、何の問題もないように見えます。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
この運用担当者がやっていることは、SaaS投資を事業成長に返す仕事でしょうか。それとも、**SaaSという道具の”お手入れ”**でしょうか。
項目を追加する。レポートを出す。フローを組む。これらは全て、ツールを維持するための作業です。
もちろん必要な作業です。でも、これだけでは投資に対するリターンは生まれない。
御社のSaaS投資、“作業の維持費”に消えていませんか?
2. なぜこの構造が生まれるのか ― 「感謝ループ」という見えない罠
ではなぜ、SaaS投資が作業コストに消える構造が生まれるのか。
実は、これには非常にわかりやすいメカニズムがあります。
私はこれを「感謝ループ」と呼んでいます。
こんなサイクルを想像してみてください。
運用担当者がツールの学習コンテンツ(SalesforceのTrailheadやHubSpot Academyなど)を一通りこなす。「お、この機能面白い!」と思い、社内でさっそく試してみる。ちょっと難しい依頼が来たけど、頑張って調べて対応できた。現場から「すごい!ありがとう!」と言われる。
嬉しい。もっと頑張ろう。次の依頼も対応する。また感謝される。
…一見、健全な成長サイクルですよね。
でも、ここに構造的な罠があるんです。
この「学ぶ→試す→感謝される」のサイクルは、脳内報酬の設計がものすごく単純化されている。
学習コンテンツは細かくステップが分かれていて、一つクリアするたびに達成感がある。社内で試してうまくいけば感謝される。四谷学院の55段階式学習のようなもので、細かくセッティングされた報酬体系に乗っかって、「できた、いけた、やった!」と気分良く進んでいける。
結果として、運用担当者は「依頼を受けて対応する」ことに最適化されていく。
そして経営者・責任者側から見ると、「あの人、頑張ってくれているようだ」「現場も満足しているようだ」としか見えない。
両者とも満足している。でも、事業の数字は何も変わっていない。
これが「感謝ループ」の正体です。
私自身、過去にメンバーのマネジメントでこの構造にハマったことがあります。設計レビューで何度もNGを出したのですが、原因を突き詰めると全部「近視眼的」だった。目の前の依頼を解決することに集中しすぎて、事業全体の文脈を見失っていたんです。
そしてこれは、本人の能力の問題ではなく、組織の構造問題です。
感謝ループを回し続ける環境を提供しているのは、経営・マネジメント側なんですから。
3. 「便利な人」は事業に貢献しているのか? ― 経営者が見落としがちな盲点
ここでもう少し踏み込みます。
御社の運用担当者が、ある日ダッシュボードを作って報告してきたとします。
「ダッシュボードを作りました!」
さて、経営者・責任者として、この報告をどう受け止めますか?
正直に言うと、多くの場合「そうなんだ、ありがとう」で終わっているのではないでしょうか。
でも本当に問うべきは、**「なぜそのダッシュボードを作ったのか」**です。
- 事業上、今どこに課題があるのか
- その課題の原因は何か
- それを解決するための仮説は何か
- その仮説を検証するために、このダッシュボードが必要だった
- 結果として、どういう意思決定に寄与するのか
この一連のストーリーを、運用担当者が自分の言葉で語れるかどうか。
同じダッシュボードを作っても、このストーリーを語れる人と語れない人では、SaaS投資のリターンは天と地ほど違います。
語れない場合、そのダッシュボードは「作りました」で終わる作業物です。語れる場合、そのダッシュボードは事業の意思決定を変えるツールになる。
ここでさらに重要な論点があります。
運用担当者が「ツールの機能に詳しいこと」を最大の武器にしているなら、その人は事業会社にいる必要がない。
厳しいようですが、これは事実です。
SalesforceでもHubSpotでもkintoneでも、ツールのプロフェッショナルとして食べていくなら、フリーランスやSIer(System Integrator)の方がよほど分かりやすいキャリアです。「このツールができます」と言えば、ニーズは確実にある。
事業会社が運用担当者に期待すべきなのは、ツールを使って”作る”ことではなく、ツールを活用して事業を”創る”こと。
ここを経営側が明確に定義しないと、運用担当者はいつまでも”便利な人”のまま。そしてSaaS投資は、いつまでも”作業の維持費”のまま。
これは人材の問題ではありません。経営の設計問題です。
4. 投資を”事業リターン”に変えるために必要な4つの転換
では、この構造をどう変えるのか。
私がこれまでの経験から整理した、SaaS投資を事業リターンに変えるための4つの転換をお伝えします。
転換1:信頼残高を「個人」に貯めさせる環境をつくる
運用担当者が事業に貢献するための第一歩は、現場との直接的な信頼関係を築くことです。
ところが多くの企業では、依頼がフォーム経由・マネージャー経由で来る仕組みになっている。この構造では、運用担当者は「窓口の向こう側の処理係」にしかなれません。御社の依頼フローは、運用担当者個人への信頼が蓄積される設計になっていますか?
経営・マネジメントが設計すべきこと:
- 運用担当者がSlackのオープンチャンネルをウォッチし、現場の声を直接拾える動線を用意する
- 現場ミーティングへの同席機会をつくる
- 「依頼を捌く」以外の時間(たとえば業務時間の2割)を「現場の声を拾う時間」として正式に認める
泥臭いですか? 泥臭いですよ。でも、課題も本音も、現場にしか落ちていないんです。
転換2:「なぜ?」を掘り下げる行動を評価する
依頼に対応するだけでなく、「なぜその依頼が来たのか」を掘り下げる行動を組織として評価する仕組みをつくる。御社の評価制度は、依頼の表面対応を拾っていませんか?
たとえば、こんな違いです。
【表面的な対応】
現場:「この項目を追加してほしい」 担当者:「わかりました、追加しますね」
【裏側を読み解く対応】
現場:「この項目を追加してほしい」 担当者:「承知しました。ちなみに、この項目ってどういう場面で使うんですか?」 現場:「実は毎月、スプレッドシートに転記して集計してるんだよね…」 担当者:「それ、一括で出力できる方法がありますよ。一件ずつ転記する必要なくなります」
後者の行動を、評価指標として組み込む。単なる処理件数やリードタイムではなく、依頼の背景理解の質を評価する。
この積み重ねが、運用担当者の視野をボトムアップで広げていきます。営業→インサイドセールス→マーケティング→カスタマーサクセス→契約管理…と一つずつ領域が広がり、最終的に事業全体のオペレーションが見えるようになる。
ただし、注意点があります。「いきなり全社最適の構想を描け」という無理はさせないこと。
全体構想・複数部門の巻き込み・合意形成の難易度は、想像以上に高い。改善から始めて、改革に至る。この順序を経営側が理解し、提供すべきです。
転換3:「感謝」ではなく「事業指標への寄与」で評価する
感謝ループを断ち切るために、評価軸を明確に切り替える必要があります。
- 評価面談で「今期、事業のどの指標にどう寄与したか」を必ず問う
- 運用担当者が定期的に事業指標に触れる場をつくる(経営会議のサマリー共有、売上ダッシュボードへのアクセス、四半期の事業レビュー同席など)
- 本人の達成感だけを満たす仕事が積み重なっていたら、事業課題と紐付いたテーマを意図的に渡す
**「感謝されること」自体は悪ではありません。**信頼残高を貯めるための手段として、むしろ最初のフェーズでは必要です。
問題は、手段と目的が入れ替わってしまう構造を放置すること。「ありがとう」は信頼獲得の手段。信頼が必要な理由は、事業を伸ばすため。この因果を経営側が理解し、評価設計に反映することが不可欠です。
転換4:「何を作ったか」ではなく「なぜ作ったか」を問う文化をつくる
報告フォーマットに「事業課題との接続」を必須項目として入れる。施策の結論だけでなく、出発点(課題)と意思決定への寄与を言語化させる。
以前、あるメンバーにバーバラ・ミントの『考える技術・書く技術』を渡したことがあります。出発点(事業課題)から、結論(施策の実行)に至るまでのストーリーを、自分の言葉で組み立てる力が必要だったからです。
正解なんてありません。正解がない中で、どうやって自分なりの正解を作り上げていくか。
この**「仮説構築能力」と「実行力」**こそが、SaaS投資を”作業コスト”から”事業リターン”に変える鍵です。
5. AI時代、この構造を放置した企業に起きること
最後に、この問題を放置した場合のリスクについて触れておきます。
AI関連投資は年々加速しており、2025年時点で年間1.5兆ドル規模、2028年には3兆ドル規模に達する見通しです。人類の叡智の塊と言われるような人材が、世界中で開発に携わっています。
パソコン上でできることは、遅かれ早かれ全部AIに代替されます。
システムの設定変更、フローの構築、エラーの対処、ダッシュボードの作成…。いわゆる「How(やり方)」に寄った作業は、確実にAIの得意領域に入っていきます。
BizOpsの領域で言えば、まずセールスオペレーションのように定型業務を回している人たちが、最初に影響を受けるでしょう。その次に、プロジェクトマネジメント、設計…と上流に向かって浸食が進んでいく。
つまり、運用担当者を”便利な人”のまま放置している企業は、二重の損失を被ることになります。
- 今の損失:SaaS投資が作業コストに消え、事業リターンが生まれていない
- 将来の損失:その作業すらAIに代替され、運用担当者のポジション自体が不要になる
逆に言えば、今のうちに運用担当者を「事業を創る人」に転換できた企業は、AIが定型作業を代替してくれることが追い風になる。
人は合意形成と仮説構築に集中し、定型作業はAIに任せる。この構造をつくれるかどうかで、3年後の競争力が決定的に変わります。
では、何が残るのか。
人と話をして合意形成する力。正解のない問いに対して仮説を立て、周囲を巻き込んで実行する力。
面倒くさい? 面倒くさいですよ。でも、面倒くさいことをやる人が、結局残るんです。
そしてその人材を育てられるかどうかは、経営・マネジメント側の設計次第です。
6. まとめ ― SaaS投資の成否は、ツールではなく「人の使い方」で決まる
ここまでの内容を整理します。
SaaS投資が事業リターンに変わらない原因:
御社のシステム運用担当者が”便利な人”のまま、感謝ループの中で最適化されてしまっている。これは人材の能力問題ではなく、経営・マネジメント側の環境設計・評価設計の問題です。
投資を事業リターンに変える4つの転換:
- 環境の転換:信頼残高を個人に貯めさせる動線を設計し、現場と直接繋がれる時間を正式に与える
- 行動の転換:「なぜ?」を掘り下げる行動を評価指標に組み込み、ボトムアップで視野を育てる
- 評価の転換:感謝件数ではなく事業指標への寄与で評価し、事業課題と紐付いたテーマを渡す
- 文化の転換:「何を作ったか」ではなく「なぜ作ったか」をストーリーで語れるかを問う
この4つの転換を経営が意識的に設計すれば、運用担当者は”便利な人”から事業を動かすBizOps人材へ進化していきます。
BizOpsという役割は、まさにこの転換を実践するポジションです。システムはあくまで手段。目的は、事業成長への貢献。
SaaS投資の成否を決めるのは、ツールの機能ではありません。そのツールを、誰が、どういうスタンスで使っているか。
SaaS投資が事業のどの数字をどう動かしたか ― この問いに、組織として答えられる状態をつくる。それが、経営が本当にやるべき”SaaS投資の回収”です。
答えは現場にしかありません。そして、その答えを探すもしくは採る、育てられるのは経営・マネジメント層だけです。
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